2017年11月21日
11月12日〜13日 デュオキャンプ
前回の記事にてニ行と表題付けたにもかかわらず、結局書けずに終わってしまっていた後半の記事です。
ブログってのは、もとより日記という意味合いがあってついた言葉だそうで、その前提で言うと旬を過ぎた物事というのは、後に文章に仕立てると、どうも鮮度に欠けるというか、臨場感に欠けることがままありますね。
しかしながらかの村上春樹氏は同著者純文学の代表作であるノルウェーの森にて、明確な地図が明確に過ぎて、時に読み解き難いことがあると言ってまして、まさに思い出話しなどは時が経つにつれ味わい深くなるものなんじゃないかな?と思いますね。
まぁ、ただの無精を適当な引用で誤魔化したところで参ります。
今回は前述の通り11月12日13日、一泊二日のデュオキャンプの様子で、場所は毎度の林間、幕はコールマンライトドームであります。
実は前回の記事でやったタシークと薪ストーブの組合せが、まだオーバースペックだったのと、手間と荷物の多さに嫌気がさして、今回は軽く緩くやりたいなぁと…。
そんなわけで何も考えずただゆっくりとした時間を楽しみたかっただけなので、殆ど写真も撮ってませんし、料理だって適当に済ませてますから、特筆すべきことはありませんが、こんな無精な感じであったにもかかわらず、明くる日の明け方、トイレに目を覚ました時に見た景色が何とも幽玄で、つい何枚かおさえた次第です。
幕内で目覚めた折に、つい癖で腕を覗き込んでみると、はたと時計を外してあったことに気付いて、ごそごそとメッシュポケットの方へ手を伸ばしました。
漸く取った時計を見れば6時頃でした。
暖房に入れた幕内の石油ストーブの灯りが明る過ぎるのか、外がまだ暗いのか判別がつかなかったけど、どちらにせよこの時間にしては外は暗いようだから天気が良くないのかな?と思っていました。
そんな寝起きのぼんやりとした思考を覚ますのに、インナーのジッパーを開ければ冷気がひんやりと冷たかった。慌てて上着を羽織りフライを上げるとかなりの結露があったようで、ぼたぼたと肩や背中を濡らしてくれるから、全く仕方ないなと気休めにそれを手で払い、着いた水滴で目を擦れば、眠気も覚め、改めて周囲を見渡すと何だかまだ白い。というか霧が立ち込めていたことに気付いて、どうりで暗いわけだと合点が行った次第です。

寒い時期になればよくあることですが、幕内の暖気で冴えない頭が、急に凛と立つ大気に晒され爽涼と覚めたばかりに見渡せば、それはもう心を打つに足りる神秘的な景色でした。

写真は暫しタープ下でそれを堪能した後に撮ったもので、霧が晴れ掛かっていったところです。本当に綺麗なものは儚く、儚いものは綺麗に見えるものですね。

その後用を足して帰り、霧が引いて行く秋晴れの朝を、沸かした暖かいコーヒーと共に一人楽しみました。
寒くなってもまだ楽しめるものがあるのは人の特権です。
野に朝日が降り注ぐまでそう時間は掛からず、枯芝の露を蒸らす陽だまりに、ふわふわとたくさんの羽虫が細雪のように舞っていまして、ここが自然界と社会との最前線なんだなぁと改めて思いついたわけで、まだ眠る相方の身体を揺すってみようと、そろそろと幕内へ入って行きました。
ブログってのは、もとより日記という意味合いがあってついた言葉だそうで、その前提で言うと旬を過ぎた物事というのは、後に文章に仕立てると、どうも鮮度に欠けるというか、臨場感に欠けることがままありますね。
しかしながらかの村上春樹氏は同著者純文学の代表作であるノルウェーの森にて、明確な地図が明確に過ぎて、時に読み解き難いことがあると言ってまして、まさに思い出話しなどは時が経つにつれ味わい深くなるものなんじゃないかな?と思いますね。
まぁ、ただの無精を適当な引用で誤魔化したところで参ります。
今回は前述の通り11月12日13日、一泊二日のデュオキャンプの様子で、場所は毎度の林間、幕はコールマンライトドームであります。
実は前回の記事でやったタシークと薪ストーブの組合せが、まだオーバースペックだったのと、手間と荷物の多さに嫌気がさして、今回は軽く緩くやりたいなぁと…。
そんなわけで何も考えずただゆっくりとした時間を楽しみたかっただけなので、殆ど写真も撮ってませんし、料理だって適当に済ませてますから、特筆すべきことはありませんが、こんな無精な感じであったにもかかわらず、明くる日の明け方、トイレに目を覚ました時に見た景色が何とも幽玄で、つい何枚かおさえた次第です。
幕内で目覚めた折に、つい癖で腕を覗き込んでみると、はたと時計を外してあったことに気付いて、ごそごそとメッシュポケットの方へ手を伸ばしました。
漸く取った時計を見れば6時頃でした。
暖房に入れた幕内の石油ストーブの灯りが明る過ぎるのか、外がまだ暗いのか判別がつかなかったけど、どちらにせよこの時間にしては外は暗いようだから天気が良くないのかな?と思っていました。
そんな寝起きのぼんやりとした思考を覚ますのに、インナーのジッパーを開ければ冷気がひんやりと冷たかった。慌てて上着を羽織りフライを上げるとかなりの結露があったようで、ぼたぼたと肩や背中を濡らしてくれるから、全く仕方ないなと気休めにそれを手で払い、着いた水滴で目を擦れば、眠気も覚め、改めて周囲を見渡すと何だかまだ白い。というか霧が立ち込めていたことに気付いて、どうりで暗いわけだと合点が行った次第です。

寒い時期になればよくあることですが、幕内の暖気で冴えない頭が、急に凛と立つ大気に晒され爽涼と覚めたばかりに見渡せば、それはもう心を打つに足りる神秘的な景色でした。

写真は暫しタープ下でそれを堪能した後に撮ったもので、霧が晴れ掛かっていったところです。本当に綺麗なものは儚く、儚いものは綺麗に見えるものですね。

その後用を足して帰り、霧が引いて行く秋晴れの朝を、沸かした暖かいコーヒーと共に一人楽しみました。
寒くなってもまだ楽しめるものがあるのは人の特権です。
野に朝日が降り注ぐまでそう時間は掛からず、枯芝の露を蒸らす陽だまりに、ふわふわとたくさんの羽虫が細雪のように舞っていまして、ここが自然界と社会との最前線なんだなぁと改めて思いついたわけで、まだ眠る相方の身体を揺すってみようと、そろそろと幕内へ入って行きました。